岩木山コラムの最近のブログ記事

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岩木山のオオヤマザクラが咲き始める5月の上旬、山麓の「津軽三味線ライブ」が始まる。岩木山神社枡形の他3ヶ所で、10月末までの毎日曜日と祭日・年34回のロングランのライブだ。ワンステージ30分とはいえ、車で移動してマイクやスピーカーをセットするなど大変な労働だ。ライブを始めてから今年で6年目となる。これまで続けてこられたのは、土地の人間でもある花田一蔵氏という三味線奏者のおかげである。

花田氏の本業は農業で、農作業の合間に観光協会開催のライブだけでなく湯宿の宴会に呼ばれたり、全国で開催される「民謡大会」や津軽三味線の演奏会に呼ばれたりなど、結構忙しい。そんな花田氏は、「若げ~頃は、地方巡業でなんぼでも仕事したじゃ!そして、酒もなんぼでも飲んだんだ。でも、もう余り遠くさはもう行がねんだ!疲れでしまうんだよ、巡業は・・・」と、遠くを見るように言葉が少なくなる。こんな綺麗な山がすぐ目の前にあり、ここで飲む酒はうまいし、ここを離れる理由が無い。自分の家が一番だというのだ

津軽三味線は、「ぼさま」と呼ばれた盲人が、『門付け』といって家の前で弾いて歩いたところから始まったものだ。それは、芸事ではなく、命をつなぐ手段であった。

長い年月の間に、鳥や虫、吹雪など、あらゆる自然の音を取り入れ、津軽には無くてはならない音色になったという。津軽三味線の演奏スタイルはこうして確立したが、本来的には民謡の唄の伴奏として成長したものだ。民謡歌手が望む「音」を伴奏しなければ干されることになるので、一人一人の個性に合わせることが必然になるのだ。

 ゴールデンウイークのある朝、花田氏がライブの準備のために観光協会に立ち寄った。「おはよう!」と威勢のいい声だけではなく、観光客の出足の状況や景気などの話を独特の津軽弁で話しまくる。この饒舌さは、転生の陽気な気質からで出るものではなく、彼流の気遣いなのだ。ライブ中もサービス満点だ。聴き入っているお年寄りに、昔踊ったことがある曲を弾きましょうと言う。「さあ、踊って、踊って」と独特のユーモアで、お年寄りを喜ばせる。お年寄りの中には、車椅子で来たにもかかわらず本当に踊りだすお年寄りも出る始末だ。

花田氏の音色はすばらしい。津軽三味線を弾ける人は観光協会の周りには多いが、花田氏の弾く三味線は「超一級」だ。単に撥捌きが一流だというのではなく「艶」があるのだ。また、余り唄わないのだが、彼が唄う民謡の一節は男っ気のある渋い声で心に響く。

筆者も人の顔をどうのと言える人相ではないが、花田氏は声以上に顔が渋い。怒った顔は見たことが無いが、怒らせたくはないタイプの顔なのだ。そんな顔だから、お客に茶目っ気たっぷりに笑顔を見せるとやたらと受けるのだ。

芸能人の共通する一点は、日常の総てのことに関してある種の粋さをもっていることだ。すべての表現が色っぽく、華やかなのだ。だから普通の人と違って見える。でも、花田氏の場合は、津軽三味線を手に持った瞬間から変貌するのだ。これから演奏に出向くという独特の空気が、花田氏の周りを包み込むからだ。

半纏を脱いで、三味線をケースに終いこんでしまうと普通の人になってしまう。本人が計算の上でこの雰囲気を作っているのではないだろう。これは仕事に対して誠実であり、「芸」に厳しいほどの情熱があり、聴いてくれるお客様を大切に思っているからだ。

ロングランのライブは、体調を維持し、自分のスケジュールを調整しなければならないはずだ。この努力と、情熱があるからこそ続いているライブだ。主催側である我々も、彼に負けない位に情熱をもって、訪れる観光客を大切にしなければならない。

201005_01.jpg平成18年に弘前市、岩木町、相馬村の合併成立。旧岩木町、旧相馬村の住民は、合併後の状況になぜか不満に感じているという。合併前、合併すべきかどうかを市と民間において徹底した協議を行ったはずではないか。

旧岩木町時代は、日常に生じる諸問題を「役場」に頼っていたのだから、合併後は愚痴を聞いてくれる相手?が居なくなったので欲求不満なのか。景気が悪いのは合併したからだと不満を持つのでは、ただの駄々っ子としか言いようがない。自分達の力で、この経済状態から抜け出そうと努力しなければならないのではないか。

弘前市は、津軽平野の中心地「旧市内」だけでなく、岩木山という三次元的に広い土地を所有してしまったことになる。旧市内から30分で岩木山麓まで来る事ができるのだから、遠いという位置関係ではない。しかし、岩木地区の人々は雪の無いときは別にしても、冬場はちょっと役所にと言って出かける距離ではないことは事実だ。地域の相談事があっても役場にさえ、なかなか足が向かないという出不精が多い地域だから、旧市内は遠く感じるのか。

相馬地域はもっと深刻だという。「相馬支所」としての存在はあるが、住民としての書類手続きなどは出来ても地域の細かいことに関しては相談し難いと言っている。市との綿密な関係があることで、始めて地域を良くする事が可能になるはずだ。市民側からか行政側のどちらからでもいいが、早急に本気の話し合いが必要だろう。

今年の12月には、新幹線青森駅が開通する。大掛かりなイベントやキャンペーンを計画しているが、青森の紹介パンフレットなどに「岩木山」の情報を載せてもらうことは至難の業だ。冬シーズンは特に、祭や食のことでも何でもいいから話題になるような『商品』が必要だ。そうしないと、旅行の情報誌や旅行代理店のパンフレットには載らない。いろいろな企画を立てても、結果としてお客にお金を使ってもらうことは難しい。ただ同然のサービス行為は、一時的には客を喜ばすことが出来ても実利が無ければ長続きはしない。

新幹線就航では先輩である八戸市の宿泊施設で、朝グル(1,500円)というサービスがある。これは前の晩の10時までに申し込んでおけば、朝、出発前の約2時間を楽しく過ごせるという企画だ。この企画の要である「足回り」は、市内のタクシー協会との提携で実現している。スタート時点では、ほんの数社が協力しただけだったらしいが、現在では市内のほとんどのタクシー会社が参加しているという。1,500円という金額は、タクシーの運賃だけで食事などは入っていないが、市場や温泉に案内するので、お客が自由に選択できるようにしてあるのが人気のある理由であろう。このような取り組みは、行政と宿泊施設、民間団体との密なる打ち合わせが基本になる。この点、津軽地域より南部の方が、フットワークが良いと感じるのは筆者だけだろうか。

新幹線青森駅開業間際になっても、弘前の現状は「泊り客が少ない」「タクシーの利用者が減少している」と愚痴ばかり言っている状態だ。会議ばかりやって、実施レベルでない企画ばかりを立て、いざ実施となると官から「モニター資金」をもらいタダ客にアピールするだけだ。揉むだけ揉んでいざ実施となって、自分達の金を出さないで実験しようとするのだから「商品」にはならない。お客の立場で考えれば、現在、何が足りなくて何が必要なのかが分かるはずだ。

合併後の弘前市は、硬い「形」になってはいないのが現状だ。街には、問題が山のようにある。メイン通りにある店のシャッターが下りた状態で、観光客を迎えることは出来ないのではないか。超早急に官民一体となり、実施レベルの計画を立案し、魅力ある『新生弘前市』を創らなければならない。


20100211_01.jpg嶽温泉で2月の中旬に『豪雪まつり』が行われた。真冬の期間は、岩木山山麓の湯宿に来る客は減少気味だ。この状況を少しでも良くしようと、嶽温泉旅館組合が主催になり、祭が企画された。今回、参加していただいたお客様に少しでも楽しんでいただくことで、冬場の岩木山のイメージアップを図り、行楽シーズンにリピーターとしてまた来ていただくことが湯宿の人たちの願いなのだ。

この祭に関して岩木山観光協会は、協賛団体としての手助け程度を考えていたのだが、組合から「馬そり」をやりたいのだが相談に乗ってくれと連絡があり一変した。幼稚園児や小さいお子様連れの家族を楽しませたいというのだ。嶽温泉旅館組合は、赤石組合長を頭に若手が頑張っている。彼らの熱意に応えねばと筆者は必死で「馬」を探し始めた。西目屋、相馬、平賀、金木、車力と岩木山周辺の知人や団体に問い合わせをしたが、馬はいなかった。

しばらくして岩木スカイラインの責任者が、馬を見つけたといって大はしゃぎで報告に来た。関係者一同ほっとしたのもつかの間、今度は値段交渉の段階で、高額な馬の運行料を言われたと泣きを入れてきた。それに、会社としては利益にもならないことはできない、今後は協力できないという。開いた口がふさがらないとは、このようなことを言うのだろう。

この交渉は、最初から間違った方向で進められたことがすぐ分かった。「馬そり」は、地域の活性化が目的だ。特に子供たちの為だという大切な点が、馬主に伝わらなかったのだ。岩木スカイライが商売でやるならと、通常の値を言われたのだろう。ボランタリーな精神がそこにあれば、この交渉が違った成り行きになったはずだ。

地域の活性があってこそ、そこでの仕事が成り立つのではないか。率先して地域活動を実施しなければならない立場の企業が、利益だけを考えて地域の活動に真剣に取り組めないというなら情けない。

諦めかけていたとき、青年部の一人から連絡が入った。「馬、探してるんだって?馬ならいるよ」と。灯台下暗しだった。紹介されたのは、青年部に所属する地元の建材屋さんだった。その家では親父さんが「力馬」を飼っているという。連絡すると、その親父さんが二つ返事で承諾してくれた。

翌日、赤石組合長と酒の土産を持って、親父さんに会いに行った。親父さんは、「商売でやってるわけじゃない、馬が好きなんだよ。子供達にいっぱい楽しんでもらいたい」優しい目で自分も楽しみにしているとも言ってくれた。馬は、名前も強そうな「金太郎」という3歳馬だ。北海道で開催される「馬力大会」で5戦して4回の優勝、1回は2着というすばらしい馬だった。

馬そりの段取りが付いたので、支援をしてくれる県民局に報告に行った。担当者が、よく見つけたねと驚いている。同じ頃に黒石市でも馬車運行を企画していたらしく、やっとのことで岩手県から借りることになったというのだ。「馬」には皆、苦労していることが分かった。

昭和の初期までは、弘前駅ターミナルにも馬車がずらりと並んでいたという。その頃の輸送手段は、人、荷物のどちらでも自動車よりは馬車の方が身近な存在だったのだろう。田畑には、農耕馬がいて、収穫した農作物は馬車で売りに行った。冬の雪道は、当時の道路事情や除雪の技術から考えても、馬車の方が便利だったに違いない。この「馬」がいつの間にか居なくなってしまったことを今回は実感し、寂しい思いがした。

バスやタクシー、一般車でごった返している煩雑な現在の道路、一昔前までの「乗り合い馬車」でゆっくり街を眺めながら、談笑しているお客の情景を想像してしまう。

岩木山にも昭和の中期までは馬が活躍していた。山では炭焼きが盛んであった時代に、柴を運び、焼きあがった炭を街まで売りに行く運搬作業も馬が主だったということだ。

こんな短時間で、「馬」そのものが居なくなってしまうほど、我々に生活の変化があったのだ。祭のためとはいえ、馬を探して奔走したことが滑稽に思えてならない。

「馬そり運行」は、大好評だった。もちろん、子供たちは馬の鼻に触ったり、話しかけたりと大喜びだった。馬主である親父さんも楽しそうだった。

岩木山のすぐ傍にいた「金太郎」。あるがままにその土地の魅力を守ろうと、今更のように訴え始めている人が多い昨今だが,「馬探し」で多くのことを教わった気がする。

暮れは、喪中ということもあってずっと自宅にいて読み残していた本を整理した。
その数冊の中で、寺島実郎氏の「世界を知る力」を紹介したい。

巻頭に

"激変したのは交通手段ばかりではない。現代は、ヒト・モノ・カネ・技術・情報が、ボーダーレスに、つまり「境界なし」で交流する時代である。ラジオからテレビ、そしてインターネットへと、さまざまなメディアが登場・普及し、情報環境が劇的に変化して、わたしたちが認識できる「世界」は限りなく広がったように見える。「わたしは、いながらにして世界のすべてを知ることができる」と強弁する人がいたとしても不思議ではないだろう。だが、わたしたちの「世界を知る力」は、単純に、交通手段や情報環境の発達と正比例して向上するものだろうか。残念ながら、答えは「否」である。"

寺島氏はテレビ出演していても、一貫して上記のことを訴えている。
日本人の「固定概念」の強さが、激動の世界で最も危険視されているのはなぜか。

かつての日本人は、海外の文化を知るために海を渡った。世界には、己が知る以外の考え方を持つ人たちがいることを認識し、海綿体のようにその国の文化や政治経済のあり方を吸収した。日本人のうまさは、帰国してから日本流にアレンジして自分たちのものとすることが非常にうまかったということか。

しかし、そういう先人達の努力が近代日本の基礎を作ったのだという、意識も今に至っては薄れてしまっているようだ。1968年、日本は世界第2位の経済大国になった。2年後に大阪万博が開かれ、日本全体が湧き上がった。筆者もその頃に社会人となったのだが、仕事探しに不自由することは無く、勤め先では毎年のように昇給もあった記憶がある。

日本の現状は悲惨そのものだ。失業者が続出しているだけでなく、精神的なダメージで自殺や、残虐な事件が後を立たない社会になっている。まもなく、日本は中国に抜かれてGDP(国内総生産)が世界3位となる。中国は、人口も10倍もいるわけだし、日本の工業技術水準をすでに上回っているジャンルが多数ある。

これに対して日本は、狭量な感覚で中国人に抜かれたという悔しさを持つだけで、今後は協力体制を組もうと前向きの姿勢は見られない。韓国に対しても同じだ。日本は、過去数度の「戦争」という大きな過ちを犯しているにもかかわらず、中国、韓国だけでなく、アジア全体に対して「上から目線」でいるのが現実だ。

今だ、何の成果も挙げていない民主党だが、首脳陣の発言にずれはあるものの各国へ出向いてコミュニケーションをとろうとする姿勢は好感を持てる。現代はすさまじい勢いでネットワークが発達し、居ながらにして世界の情報が入りはするが、はたして本当に我々は世界を理解できているのだろうか。他国との交流には足を使い、細やかな話し合いから生まれる信頼関係があってこそ、始めて国と国の付き合いができる。 このような行動が定着することで、自国のウイークポイントを自覚し、改革することによって新たな自信と希望が生まれるはずだ。

海外の人々と接触してよく感じることは、自国に対する意識がはっきりしていることだろう。愛国心を持っているということだけでなく、自国が将来どのような方向に向かうべきだという意見を持っている。もちろん、仕事上での出会いである以上、彼らはしっかりした教育を受けているからこそ意見が言えるのかもしれないが、特に留学生の知識レベルの水準の高さには驚かされる。 愛国心、郷土愛が、国や地方の政治経済に関心を持つことになる。

今のままでは、日本は駄目になる。だからこんな風にしなければ、あんな風にしなければと考えることになる。
世界の問題点は、自分が住む地域の問題でもあるということが理解できたら、岩木山にも坂本竜馬のような青年が生まれるかもしれない。

12月半ばになると、山岳写真家達を喜ばすような、澄み切った青空と白装束の岩木山が綺麗だ。

夏の岩木山は、透明感があり、どこか女性の姿を想わせるのだが、冬の岩木山は雄雄しく、それでいて華麗だ。
さしずめ、歌舞伎の立役ではなく宝塚歌劇団の男役か。

年が明ける頃には、弘前旧市内は雪が無くても岩木山麓は雪景色になる。
それに伴ってウサギやリスなど小動物が白いキャンバスの上を走り回る。小動物だけならいいが、時折眠り損ねた熊が大きな足跡を残しているときがある。

冬場は事務所とはいえ、食物を置いておくこと「館内侵入事件」に発展する恐れもあるから危険なのだ。
このような自然がいっぱい?の土地を雪深くない土地の人々にぜひ堪能していただきたいと、当協会青年部を軸に動きが始まっている。もちろん、温泉場の冬対策は今に始まったことではないが、かつて『湯治場』として賑わいをみせた湯宿の経営者たちは、大きな利益をつかんだ感覚を忘れられないでいる。だから、どうしても再開発という観点からの行動には無関心だ。そんなことをしても曾てのようにならないとしり込みをする。疲れているのだろう。

数年前までは公的資金も出ただろうし、それを使ってイベントを組み、誘客をした。ところが、悲しいことに一過性であることは間違いなく、イベントを面白がっているうちは客も来るが飽きると来ない。それをやめれば、誰も見向きもしない状態になるのことで疲れがどっと出ることになる。

ここ数年の低迷状態の中で、動き出したのは青年部だ。

シーズンが2分されているこの土地では、冬場は完全クローズだ。
この状態を何とか打破しようといろいろ考えはするが、なかなかイベントを考える程度で誘客につながるアイデアは生み出せないでいる。過去に単発のイベントで失敗している実例があるだけに、彼らの親達の二の舞を踏ませたくないということを考えてしまう。そうなると相談を受ける筆者としても慎重にならざるおうえない。

雪を題材に、雪を楽しんでもらえるようたくさんの企画を考えた。

夏場利用している遊歩道をスノートレッキングのコースとして使う。冬はクローズするスカイラインの下部を使って遊技場にする。そり遊び、盥でもいい、かまくらもたくさん作りたい。それも4から5人用、二人っきりのラブかまくら、子供に帰って雪を楽しんでもらおうと考えている。
そして、メインは馬そりで温泉街を一回りするというものだ。買い物をしたり、温泉に入って次の馬そりを待って帰るようにと、企画はどんどんふくらんでいる。

この企画をぜひ継続性のある「商品」として確立しようと奮闘中だ。
「馬とそり」のレンタルは数件に問い合わせているが、予算や他の条件が合わず、なかなか決まらない。
来年12月には新幹線青森駅が開業。当然、津軽に客が押し寄せることだろう。

しかし、冬場はどこもお客に楽しんでもらう材料が無い。
こんな単純な企画でも、定着することで次の付加価値をつけていけば『売り』になるかもしれない。
これは生みの苦しみだが、青年部もこんな風に努力し始めてから少し考え方が変わってきているのがうれしい。
手っ取り早く客を呼び寄せようというのではなく、客と一緒に雪を楽しもうという感覚が芽生えてきている。これは筆者もいつも考えることだが、自分が面白い、楽しいと思わないことは相手も楽しくないのだ。

心からもてなせと、観光業を相手にしたセミナーでは必ず説くが、相手の気持ちを重視しているかが問題だ。心からお客と一緒になって、あるがままの冬の温泉場を楽しんでもらうための努力をしたい。