岩木山に馬がいた!

20100211_01.jpg嶽温泉で2月の中旬に『豪雪まつり』が行われた。真冬の期間は、岩木山山麓の湯宿に来る客は減少気味だ。この状況を少しでも良くしようと、嶽温泉旅館組合が主催になり、祭が企画された。今回、参加していただいたお客様に少しでも楽しんでいただくことで、冬場の岩木山のイメージアップを図り、行楽シーズンにリピーターとしてまた来ていただくことが湯宿の人たちの願いなのだ。

この祭に関して岩木山観光協会は、協賛団体としての手助け程度を考えていたのだが、組合から「馬そり」をやりたいのだが相談に乗ってくれと連絡があり一変した。幼稚園児や小さいお子様連れの家族を楽しませたいというのだ。嶽温泉旅館組合は、赤石組合長を頭に若手が頑張っている。彼らの熱意に応えねばと筆者は必死で「馬」を探し始めた。西目屋、相馬、平賀、金木、車力と岩木山周辺の知人や団体に問い合わせをしたが、馬はいなかった。

しばらくして岩木スカイラインの責任者が、馬を見つけたといって大はしゃぎで報告に来た。関係者一同ほっとしたのもつかの間、今度は値段交渉の段階で、高額な馬の運行料を言われたと泣きを入れてきた。それに、会社としては利益にもならないことはできない、今後は協力できないという。開いた口がふさがらないとは、このようなことを言うのだろう。

この交渉は、最初から間違った方向で進められたことがすぐ分かった。「馬そり」は、地域の活性化が目的だ。特に子供たちの為だという大切な点が、馬主に伝わらなかったのだ。岩木スカイライが商売でやるならと、通常の値を言われたのだろう。ボランタリーな精神がそこにあれば、この交渉が違った成り行きになったはずだ。

地域の活性があってこそ、そこでの仕事が成り立つのではないか。率先して地域活動を実施しなければならない立場の企業が、利益だけを考えて地域の活動に真剣に取り組めないというなら情けない。

諦めかけていたとき、青年部の一人から連絡が入った。「馬、探してるんだって?馬ならいるよ」と。灯台下暗しだった。紹介されたのは、青年部に所属する地元の建材屋さんだった。その家では親父さんが「力馬」を飼っているという。連絡すると、その親父さんが二つ返事で承諾してくれた。

翌日、赤石組合長と酒の土産を持って、親父さんに会いに行った。親父さんは、「商売でやってるわけじゃない、馬が好きなんだよ。子供達にいっぱい楽しんでもらいたい」優しい目で自分も楽しみにしているとも言ってくれた。馬は、名前も強そうな「金太郎」という3歳馬だ。北海道で開催される「馬力大会」で5戦して4回の優勝、1回は2着というすばらしい馬だった。

馬そりの段取りが付いたので、支援をしてくれる県民局に報告に行った。担当者が、よく見つけたねと驚いている。同じ頃に黒石市でも馬車運行を企画していたらしく、やっとのことで岩手県から借りることになったというのだ。「馬」には皆、苦労していることが分かった。

昭和の初期までは、弘前駅ターミナルにも馬車がずらりと並んでいたという。その頃の輸送手段は、人、荷物のどちらでも自動車よりは馬車の方が身近な存在だったのだろう。田畑には、農耕馬がいて、収穫した農作物は馬車で売りに行った。冬の雪道は、当時の道路事情や除雪の技術から考えても、馬車の方が便利だったに違いない。この「馬」がいつの間にか居なくなってしまったことを今回は実感し、寂しい思いがした。

バスやタクシー、一般車でごった返している煩雑な現在の道路、一昔前までの「乗り合い馬車」でゆっくり街を眺めながら、談笑しているお客の情景を想像してしまう。

岩木山にも昭和の中期までは馬が活躍していた。山では炭焼きが盛んであった時代に、柴を運び、焼きあがった炭を街まで売りに行く運搬作業も馬が主だったということだ。

こんな短時間で、「馬」そのものが居なくなってしまうほど、我々に生活の変化があったのだ。祭のためとはいえ、馬を探して奔走したことが滑稽に思えてならない。

「馬そり運行」は、大好評だった。もちろん、子供たちは馬の鼻に触ったり、話しかけたりと大喜びだった。馬主である親父さんも楽しそうだった。

岩木山のすぐ傍にいた「金太郎」。あるがままにその土地の魅力を守ろうと、今更のように訴え始めている人が多い昨今だが,「馬探し」で多くのことを教わった気がする。

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